医師のコメント

    患者さんは、2才の女の子。
    鍋をひっくりかえして受傷。ただちに近くの病院に入院して加療を受け、2日後に当院へ転院。患者さんのお母さんのお話を読んでいただくとよくお分かりになるとおもうが、ご家族は絶望の淵にいた。

    初診のときお母さんがお子さんのやけどをする前の写真もってきていて「うちの子は本当はこんなに可愛いんです。先生、なんとか元に戻してください」と訴えた。私は過去に同様のことを言っていたお母さんがいたことを思い出し、その写真を見せてさしあげた。このお子さんと同様、お顔のムクミが酷く眼もあけられないような写真と治療後のニコニコ笑った可愛い写真が載っている。お母さんはこれを何回もみながら、「こんなにきれいになるんだ!先生、うちの子もこのくらい綺麗になりますよね、なりますよね!?」同時に「うちの子が良くなったら、インターネットにのせてください。私たちみたいに困っている人に一人でも多く知らせてあげていから・・」と申し出てくださった。

    ホームページを作ってからかなりの年数がたつが、初診の段階で進んで申し出のあったのは初めてのことだった。このことを後になってからお聞きすると、「よくなるのは分かっているから、初めから申し出た」とのこと。この言葉に身の引き締まる思いがした。

    患者さんの声

    ○月○日夕方。
     キッチンで2才になる娘と一緒に夕飯をつくっていたところ、娘が立っていた台から足を踏み外し、その時沸騰していたお味噌汁のお鍋の取っ手をつかんで台から落ちてしまい、頭からかぶってしまいました。 私はびっくりして、とりあえず水を頭からかけましたがパニックになってしまい、救急車を呼びました。 ビショ濡れになっている娘を抱きかかえ、そのまま救急車に乗りました。その時は顔の半分の皮がめくれた状態だったので顔半分の火傷だと思っていたのですが、救急車の中で服を切って脱がされると右腕の大きな範囲で皮がめくれていました。
     救急車では「子供の火傷を受け入れてくれる救急病院は少ない」と30分も車の中で待たされました。その間娘の顔全体が腫れ上がってきて、顔全体と右腕の大変な火傷だという事がわかってきました。泣き叫んで震える娘を抱きしめて受け入れてもらえる病院が見つかるのをじっと待つ事しかできませんでした。30分以上たってやっと受け入れてもらえる病院が見つかり、運ばれました。
     病院に着いた時には娘の顔はますます腫れ上がり、元の娘の顔ではありませんでした。処置室に入れられ手当てをしてもらっている間、私はただただ祈るだけでした。処置室から出てきた娘は、右腕に包帯をまかれ、顔は薬をぬられただけの状態でした。その後主治医の先生から「顔全体を火傷しているので、呼吸困難になる可能性があります。2週間の入院が必要です。」と言われ、私は命の危険がある事を知り震えました。娘はベッドの上で脈と呼吸の酸素をはかる機会をつけられ、点滴を入れられ、朝まで私は祈りながら見守っていました。朝になり、呼吸困難の可能性がうすくなり、命は助かる事になり、本当に安心しました。
     それから不安になったのが、顔や腕がきれいに治るのかという事でした。その時の娘は、顔は原型もなく大きな水ぶくれが顔全体にでき、腫れ上がりすぎて両目がふさがって開かなくなっていました。主治医の先生は、「痕が残るかどうかはわからない。正直ここまでの火傷の子供は見た事がないのでわからない。顔や腕に火傷の痕が残ってしまうというのはやむをえないでしょう。目もしばらく開かないとなると、弱視になる可能性もある。」との事でした。私はもう絶望的で、目の前が真っ暗になりました。苦しそうにしている娘を横に、絶望の中、自分を責める事しかできませんでした。大きな大学病院でしたので、先生にお話できるのも時間を決めて会わないと話もできませんでした。治療というのも腕には包帯をまかれており、顔は化膿止めの薬を塗られているだけで、むき出しのままでした。1日1回腕の包帯を交換する作業と、顔の水ぶくれをつぶす治療があり、かなり痛いらしく、処置室で「ママ助けて~」と泣き叫ぶ娘の声を聞き、身をきられる思いで処置室の前で娘が出てくるのを待っているだけでした。
     絶望と不安の中で、「娘に火傷をさせたのは、私の責任で、だからどんな事をしても元のかわいい娘に戻してあげないと。私ができる最善の事をしなければ。」という思いが出てきました。そんな時、実家の母や妹がインターネットなどで火傷の事を色々調べてくれ「火傷は、はじめの治療で治り方が全くちがってくる。火傷の専門の病院に移った方がいい。」と、アドバイスをくれました。その時「川添医院という火傷専門の病院があるので、一度話を聞いてみたら」と言われ、すぐに主人が川添先生に会いに行きました。先生にお話を聞いた主人が私に「絶対大丈夫!絶対きれいになる!病院を移ろう!」と言いました。そんな主人の言葉を聞いても私は信用する事は出来ずにいましたが、自分の耳で川添先生のお話を聞きたいと思い、入院している病院から電話をしました。治療時間だったにんもかかわらず、時間をとっていただき、私の話を丁寧に聞いてくださり、「口から水分を取れている状態なら退院しても大丈夫です。明日でよければ、時間をつくるので診てあげますよ」と言ってくださいました。けれどその時の私の考えは、皮膚移植か人工皮膚を移植するなどそういう方法しかないだろうと思っていました。2日間入院していた大学病院に無理を言って退院許可を出してもらい、退院してそのまま川添医院に向かいました。私はすがる気持ちで、川添先生に診てもらい、先生は「思っていたより火傷は深いかもしれません。でも大丈夫ですよ。出来るだけきれいに治しましょう。外科的な処置は一切せずにきれいに治しましょう。弱視になるというのも、私の経験上ありません。」と言って下さいました。
     私は先生の”大丈夫ですよ”の一言で、希望が持てるようになり、前向きな考えに変る事ができました。娘も今まで大学病院で痛い治療をされていたので、病院の先生を見るといやがって大泣きだったのですが、不思議と川添先生の前ではじっと座っていました。治療は水ぶくれもつぶさずに、塗り薬を塗って、薬の湿布を火傷面全体に貼る治療で、全く痛くない様子でした。その日からしばらく毎日通院する日々が続き、顔や腕の腫れもみるみるうちにひいてきて両目もすっかり開き、良く見えている状態になりました。毎回毎回、顔や腕の湿布をはがす度に急速に良くなっているのを見て、最初はほとんど信じられないくらいでした。
     今は、火傷から5週間ほどしか経っていませんが、顔の湿布はおでのこの少しの部分以外は取れて、顔を火傷したとは分からないくらいきれいになっています。今、私が言える事は、大学病院に言われたまま2週間入院していたら、結果は全く変わっていたと確信しています。近所の方にも「おでこ打っちゃったの?」と言われるくらいに回復しています。腕の方は、顔よりも火傷が深かったので、まだ火傷部分は白くなっていますが、顔も腕も元のとおりになると信じています。